お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

分解者

分解者

生物の分類として、生産者、消費者、分解者と区分する方法がある。この分類の主題は有機物であり、目的語が明確である。有機物を生産する者、有機物を消費する者、有機物を分解する者、と解釈できる。とても明確な概念である。生産・消費・分解の3つが揃うことでそれぞれの意味が明確となり、無からモノを生み出すことが生産、生産されたモノを無に戻すことが分解、モノを利用することが消費である。消費者とは、有機物を生産もせず、分解もせず、利用する生物のことを示す。消費者の定義には、生産者と分解者の両者が必要となる。消費の定義も、モノを分解することなく利用すること、となる。

これに対し、日常用語の消費は使って無くすことである。生物分類の消費者の消費は使うことに限定されるが、日常用語の消費は使ってさらに無くすことを意味する。この場合、消費の対義語は生産であり、分解は不要となる。経済用語はこの生産と消費の対を利用するが、区分は異なる。天然資源から価値を生産することを「第一次産業」と呼び、生産された価値を利用することを「第二次産業」「第三次産業」と呼び、価値を個人が取得することを消費と呼ぶ。企業が生産物を購入すると生産で、個人が生産物を購入すると消費となる。個人が購入して、使わずに保管しても消費であり、経済の消費と日常の消費は異なる。

一体どうなっているのか。推測であるが、日常用語は個人の主観的な視点であり、利用したい目的物を使って無くすことが消費であり、対義語は生産ではなく、補充である。これに対し、モノを主体にモノの変化を記述すると、誕生・変成・消滅と区分する必要がある。客観的にモノを観察する場合は3つの区分が必要であり、主観的な観察では、集約され2つの区分となる。日常用語では、誕生が生産、変成と消滅をまとめて消費である。経済用語では、誕生と変成をまとめて生産、消滅が消費である。この意味で、生物学は客観的であるがゆえに用語が日常と乖離している。経済学は主観的で用語は分かり易いが、それゆえに概念が混乱している。よって、経済学に、生産者・消費者・分解者の区分を導入することで、モノ(付加価値)を主題とした客観的な視点を導入することができる。

第一次産業は付加価値の生産者、第二次産業第三次産業は付加価値の消費者、消費者は付加価値の分解者と変換される。しかし、第二次産業第三次産業は付加価値を消費するのではなく、増加させることから、育成者が良い。よって、経済は付加価値の、生産者、育成者、分解者で構成される。生物学も消費者を捨てて育成者とすれば統一が得られる。誕生・変成・消滅に対して、生産・育成・分解である。

この話しには落ちがある。平成24年度の中学理科教科書では、分解者は消費者の一部とされ、生物区分は生産者と消費者に集約された。中学の生物は客観的視点を捨てた。日常に占める経済の割合が拡大し、自然科学が圧迫される象徴なのだろう。次に自然科学が重用される時代はいつになるだろうか。