お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

五公五民

五公五民

太閤は二公一民を基本とし、徳川幕府は四公六民としたが、享保の改革で五公五民に変更した。米の生産量である石高は、現在の国内総生産に相当する。サラリーマンの年収とは異なる概念であり、現在の税率と考えてはいけない。幕府の役割は現在の政府とは少し違う、幕府や藩主は土地を管理する資本家であり、行政を行う政府でもある。小作人は労働者であり現在のサラリーマンと同じである。公とは資本家と政府の取り分で、民とは労働者の取り分と考えられ、五公五民は労働分配率に近い概念である。

残念ながら、五公五民が労働分配率であるとする文献は見つからない。古代ギリシャ農奴の納付率も五割とされる。こちらも文献は見つからない。現在日本の労働分配率は50%であり、これは資料がある。古今東西労働分配率は五割のようである。

労働分配率が五割であれば、残り五割は資本に対する分配であり、資本の維持費用の割合である。これは資本家の贅沢の原資ではなく、経済を維持するための必要経費である。即ち、生産量の半分が減価償却として消耗されることを示し、減価償却費の二倍が生産額になっているとも解釈できる。補足として、現在の経済統計では政府支出とそれに伴う消費も加算されるので、投資の比率が不明瞭であるが、民間の投資と消費の割合は50対50であり、工業製品の生産財消費財の比率も50対50である。

五公五民に戻り、少し考察を加えたい。江戸時代の農業人口は8割であり、その他が2割であった。五公をこの2割が食べていたと考えると、農民は五民/8割でその他は五公/2割であるから、武士や商人は農民の4倍の米を食べる必要がある。農民が2000kcalの食事であれば、武士や商人は8000kcal食べる必要がある。五公五民を米の分配率と考えることは無理がある。また、人口の8割が農業生産に専従していたと考えると、治水、開墾や道路整備など公共工事を行う作業員が不在となる。農民は副業として土木作業を行い、報酬を受けていたと推測できる。五公五民は税率でも食料分配率でもない、資本と労働の分配比率と考えられる。

理屈はともかく、労働分配率と資本分配率は共に50%に収斂する。奴隷制経済、幕藩経済、資本主義経済、どのような制度であっても、労働と資本の分配は50%で安定する。別の視点では、労働分配率を50%に維持できる制度が優れた経済システムと考えられる。江戸幕府の場合、工業、商業の発展に対し、米を基準とした労働分配率の制度が対応できず、苦労したと想像される。工業が中心の経済では、生産設備を重視する資本主義が適しており、実際労働分配率は50%で安定している。この先、サービスや経験産業の需要が増加し、工業生産の比率が低下する場合、経済制度の変更も必要となる。

五公五民は、農業経済に適したマクロ経済政策であり、太閤検地が日本経済の安定と発展をもたらした。戦国時代は国力を競い合う期間であり、そこで勝ち残った政策が太閤検地であり、300年継続する経済制度を作り出した。労働分配率50%の理屈については改めて考えたい。