お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

搾取とは何だろう

搾取とは何だろう

これは搾取の解説や批判ではなく、個人的な搾取の定義である。これまで表現として「搾取」を使用したが、その内容があいまいで落ち着かない。前置きが長くなるが、搾取の定義を考える。

天然水が採取され、ボトル商品として販売されているとき、その価格は生産過程で支払われた人件費の合計であり、天然水自体は常に貨幣価値と無関係である。天然水は、採取して飲んでも、購入して飲んでも、同じ効用、同じ使用価値である。これは、石炭などの資源でも同様でコストは人件費である。自動車のような複雑な商品では、何段階もの部品から部品への加工が加えられ、それら全ての人件費の合計が商品価格である。すべての素材は、自然物を由来としているのであるから、商品価格は人件費のみであり、物体としての商品は、資源と同様に貨幣価値を持っていない。

ここまでが考察の第一段階であり、既に賛否が分かれると想像する。商品価格がすべて人件費であると考えると、自然物が商品となる過程での価値の付与を考えなくて良い。また、価格と効用の関係も問題で無くなる。効用は個人の主観的な価値であり、自然物の持つ利用価値と同種の価値である。価格は人件費であり、物体としての商品の効用とは独立している。価格は、生産過程の伝票、値札であり、消費者が購入した時に値札がはがされ、価格は消滅する。

ここから第二段階である。自然物は価格と無関係である。そうであるならば、自然の一部である人間も価格とは無関係であり、よって人間の労働も価格とは無関係である。肉体的苦役や労働時間は賃金と無関係である。信じられない結論であるが、価格は人件費であり、人件費は労働と無関係である。価格は、人間が経済上に生み出した価値であり、自然とは独立した階層の価値と解釈することができる。

第三段階の考察に進む。それでは、価格はどうやって決まるのか。生産工程では、資源以外に、既に値札が付いている生産設備や資財を使用する。このように生産で財を使用すると、その値札は生産品に継承される。同時に、使用した財の補充費用として、同額の値札が生産品に加算される。この財の補充費用が人件費であり、賃金として労働者に配分される。賃金は商品の購入によって企業に渡り、企業は生産活動により生産設備や資材を回復し、次の生産サイクルに繋がる。

資本ストックが整っている状態では、利用した資本ストックの値札の二倍を商品価格とすることで、安定した経済が持続される。人間視点では、労働者への支払が賃金であり、それを労働の対価と考え、労働の価値が人間から生産品に移動したと観察される。一方で、経済の持続性に着目すると資本ストックの視点を持つことが出来る。資本ストック視点では、利用された資本ストックと同額の賃金を労働者に提供することで、同額の売上を企業が獲得し、企業の投資により資本ストックは完全回復できる。これにより、資本ストックは持続性と新陳代謝の機能を獲得する。

第四段階は補足である。賃金は利用した資本ストックで決まり、補充される資本ストックは賃金で決まる。これが循環であれば、賃金は定まらない。これは循環ではなく螺旋である。過去の資本が現在の賃金を決定し、その賃金を企業が集め、将来の資本を形成する。

螺旋であるから、過去に遡ることになる。資本ストックが未熟な状態では、資本ストックの利用は不安定で、賃金を決めることはできない。初期の経済では、労働工数が価格の基準となる。生産された資本は労働工数が価値尺度であり、商品価格は、利用した資本の生産工数と労働工数の合計で算出される。初期経済では労働工数が価格の基準であるが、資本ストックの成長により基準が逆転し、資本ストックが賃金を規定する。資本ストックの成長は労働者の増加と分業の増加を伴い、労働者の能力差の管理が難しくなる。必然的に、基準は生産物に移行し、資本ストックの使用額から価格と賃金を決定する。

価格の考察の結論は、利用する資本ストックの価値が商品価格と人件費を決定し、労働の賃金は生産した商品価格で決まる。労働時間や苦役では賃金は決まらない。同様な仕事であれば労働時間と賃金は比例するが、職種が異なれば時間と賃金の比較は出来ない。工場であれば、大工場を少人数で動かすことにより、賃金は高くなる。

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ここまでが前置きである。仮に、「不当な利益の獲得」を搾取と定義する。搾取は、非合法な詐欺や泥棒も含むと整理できる。合法な詐欺的商売も存在し、法律での区分が難しい。政商という言葉があるように、税金や補助金は、コストとは異なる理屈で取引が成立し、不当な利益が発生し易い。このような再配分に関する搾取は分かり易い。一例として、太陽発電事業は典型的な搾取であり、電気代上乗せへの非難や不満もあるが、搾取側としての参加を選ぶ人も多い。

一方、判断が難しいのが、労働に伴う搾取である。価格の考察から、労働には貨幣価値は無い。家事労働の無給は適切であり、そもそも全ての労働に貨幣価値は無い。商品の生産額に対して賃金が支払われる。この為、労働と賃金の分配を規定する原理は無い。最低賃金で働いている人は、自活できる額の商品を生産していない可能性があり、その場合は搾取する側である。農業で成功し高収入を得ている人は、余剰人員を雇って、搾取されている可能性もある。結果に責任を持つ人が高収入なのは当然であり、バイト作業員の賃金が安いのは理に適っている。企業が行う減価償却費の回収や投資資金の蓄積も搾取ではない。企業の利益を高額な役員報酬として受け取る場合は、搾取と判断できる。

もうひとつ、不労所得はどうであろうか。株による損失は論外であるが、株の利益はどうか。土地収入はどうか。どちらも、財産保有が条件となることから、財産所有と搾取の関係を判断する必要がある。搾取により獲得した財産から収入を得ることは搾取である。しかし、搾取が無くとも、正当な賃金の蓄積としての財産もある。このような財産を投資やギャンブルで増やしたとしても搾取ではない。

搾取の定義は不当な利益の獲得である。富の集中は、役員報酬株式配当、地代収入、補助金支給で行われる。この仕組みは合法的である。また、医療費補助、生活保護、年金、最低賃金のような、弱者保護も搾取に該当する。搾取は経済システムに組み込まれ、合法非合法、善意悪意、貧富、損得、に関連するが、単純な対応関係ではない。