お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

回転寿しの皿

回転寿しの皿

経済に関して、ネットの検索結果と私の考察結果が全く異なるので混乱していたが、スミスさんが富の定義から考察を始めるのを見て、安心できた。スミスさんに感謝を述べたい。経済が“定義された富”の獲得手段であり、経済が人生の全てでないことを示してくれた。

どうやら経済は単純なルールのゲームのようである。複雑だと思う原因は、生活の全てが経済のルールに従う、との思い込みにある。経済はゲームであり、ルールはゲームの中だけで機能し、生活の多くはゲームの外にある。但し、ゲーム内での成功や失敗は生活に影響を与える。反対に生活の多くはゲームに影響を与えない。ゲームは仮想現実であるが、現実よりも重要な面がある。

ゲームの目的は付加価値を消費すること。ゲームにおける富は付加価値であり、富を獲得することがゲームの目的である。ゲームの目的は単純、付加価値を獲得すること。しかし、獲得するためには、初めに労働により付加価値を作る必要がある。次に市場で販売してお金に換える。最後に市場でお金と交換に付加価値を獲得する。このような経済活動は、社会人ならば常識である。しかし、生産には隠された関係式がある。生産は付加価値を作り出すことであるが、何も無いところから作るのではなく、必ず既にある付加価値を利用する。創るのではなく増殖である。この増殖は簡単な関係式で決まり、消耗した付加価値の2倍の付加価値を作る。関係式は、生産=減価償却×2となる。

市場を利用しないゲームは単純で、自分が欲しいものを生産で増やし、増えた分だけを消費すれば良い。しかし、自分の欲しいものをすべて自分で生産することは不可能である。むしろ、一人で生産できる付加価値は皆無である。一例を示すと、日本では古く黒曜石の矢尻が利用されている。この黒曜石は交易品であり、自身で採取することはない。また、矢尻の製作も集落内の分業である。狩猟生活であっても、他者の生産した付加価値が必要となる。人が道具を使い始めた時からゲームは始まり、ゲームには市場取引(分業)が必須である。

ゲームをたとえ話で考えると、回転寿しで説明することができる。付加価値は商品を乗せる皿であり、市場は回転するレーンである。ゲームのルールはレーン上の皿の増減に適応され、皿の上の商品には無関心である。生産ではレーンから皿を取り出し、取り出した皿の2倍の皿に商品を乗せレーンに戻す、この時増えた皿の引換券が発行される。消費ではレーンから皿を取り出し、皿の上の商品を獲得する、この時引換券と皿が同時に回収される。誰でも生産と消費に参加できるが、生産と消費では席が異なり、参加の度に生産であるか消費であるかを宣言する必要がある。生産では無条件に引換券が発行されるが、売れ残りは自身で消費する必要がある。他人が求める商品を乗せないと赤字となり、ゲームから退場となる。消費では必ず引換券が必要である。消費はどの皿を選ぶかの選択であり、限られた手持ちの引換券で、自分の求める商品を選ぶ。生産側から見るとすべての商品が競争相手となる。また、レーン上の皿が富の原資となるが、レーン上の皿を増やすためには、消費を控え、引換券を保管する必要がある。即ち、ゲームを拡大するには引換券の貯蓄が必要である。

ゲームは回転するレーン(市場)と皿(付加価値)が全てであり、皿の上の物品、消費後の物品、生産に必要な資源や労働はすべてゲームのルールの外にある。ゲーム自体は現実と独立した閉じたシステムであり、仮想現実である。但し、皿とその上の物品が結合することで、現実と結び付けられる。消費者の認識は皿の上の商品と引換券の交換であるが、ゲームのルールは皿と引換券の同時回収である。服を買う時に店員が値札を切り取ると思うが、同時回収のルールを明示的に表現している。

物品の動きをゲームのルールで説明しようとすると、混乱してしまう。物品の動きは参加者の欲望であるから、ゲームとは異なる法則がある。生活においてはこの物品の動きが重要であるが、ゲームのルールとは無関係である。経済では商品の動きも重要であるが、経済のルールは皿の部分、付加価値にのみ作用する。経済は物品と付加価値が重なった拡張現実であり、経済のルールは付加価値を制御している。

市場を回転するレーンに例えることは、市場が交換の場ではないことを示す。生産で商品を市場に供給し、消費で商品を市場から取り出す。生産と消費は逐次操作であり、同時性の交換操作とは異なる。価格の決定は生産者が行い、消費者は購入の可否を判断する。さらに、生産者は、生産=減価償却×2で商品の価格を決定するので、商品価格は減価償却から確定的に自動的に算出される。

このゲームの特徴は、プレーヤの目的を変換するところにある。欲しいものを求める利己を達成するために、他人の求めるものを生産する利他が必要であり、さらに富を増やすには倹約による引換券の貯蓄も必要である。結局、他人に尽くすことが自身に恩恵をもたらす。ゲームには利潤の概念もない、他人が求めるものを作ると生産と消費のサイクルが早まり、自動的に人、モノ、金が集まる。この生産速度の上昇を会計期間で区切ると、利潤として認識される。生産で利用した皿の倍の皿を用意し、その上に商品を乗せることで、価格や人件費は自動的に決まり、人気商品は繫栄し、不要な商品は衰退する。

回転寿しモデルは会社経営の常識を反映していると思う。経済を説明するモデルとして、回転寿し、仮想現実、拡張現実などを利用する必要があるとすれば、これまでの経済学の混乱も容認するしかない。日本文化が広がることで、経済の理解が深まるかもしれない。経済が生産と消費の二段階の操作であり、交換取引でないとする考えは、需要と供給の経済学を修正する。需要と供給による価格調節は自然価格(=減価償却費×2)を求めるための試行錯誤であり、価格を求める解法のひとつであり、価格を決める法則ではない。