お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

自然価格

自然価格

お金にならないお金の話の要点は、お金を理解しても収入は増えないことにある。貧富の格差とか搾取とか金儲けの極意などとお金の原理は無関係である。サッカーのルールとサッカーで勝つ方法は別であるように、お金の原理と金儲けの方法は異なる。それでもルールを理解し、ルールギリギリのプレーを追求することは勝利に有効である。ラフプレーは、ルール違反だけれども、ゲーム進行上見逃される行為である。経済にも、基本ルールと許容されるルール違反が存在する。実際の経済において、ルール違反が常態化しているならば、基本ルールを確認しラフプレーを排除することも必要である。

経済の基本ルールは3つある。ルール1、収入以上の消費はできない。ルール2、収入の最大化を目指す。ルール3、価格は競争のある市場で決める。

泥棒、詐欺、銀行強盗は当然ルール違反である。株主が企業を所有することはラフプレーに当たる、配当の最大化と企業収入の最大化は一致しない。商売の基本は安く仕入れて高く売ることであるが、労働は仕入れではないので人貸しはラフプレーである。政府の補助金は競争を阻害しラフプレーである。赤字国債は収入以上の支出であり、明確なルール違反である。それでは、銀行の融資はどうであろうか。将来の収入が予測できれば収入の範囲内の支出である、予定の収入が確保できなければ倒産して退場となりルールに適合する。借金を生活費として利用することや税収の見込みのない赤字国債はルール違反である。

このようにラフプレーが横行しているが、大多数のプレーヤはルールに従っている。ルールに従った経済の商品価格は、競争の過程で変動するが、継続的な生産が可能な自然価格に収斂する。経営の経験則としては、付加価値に対する人件費の割合が50%となるような価格に収斂する。継続的な生産が可能となる自然価格の算定を行う。

生産される付加価値は、消費財生産財に区分される。生産財には短期に消耗する中間財と長期間分割消耗する資本財が含まれる。生産財は最終的に必ず消費財の原料として利用され、消費される。逆に、消費財の原料はすべて生産財である。生産財はインフラや工場、中間原料であるから蓄積された資本に相当し、消費財の継続的な生産には資本を維持する必要がある。即ち、消耗した生産財と同量の生産財を生産し、その上で消費財を生産する必要がある。また、消費財を消費するには同額の賃金が必要である。

どうしても説明が煩雑になるが、式にすると以下の関係である。

商品価格=減価償却費+賃金

生産=生産財消費財減価償却費+賃金

生産財減価償却

消費財=賃金

合理的な経済では少量の生産財からできるだけ多くの消費財の生産を目指す(ルール2、収入の最大化)。例えば、商品価格を減価償却費の10倍と設定する。すると、消費者は商品を購入する代わりに、生産財を購入しさらに資本の維持費として同額の追加費用を支払い、自身で組立作業を行うことも可能である。理不尽であるが、生産財消費財として購入するには、2倍の金額を払う必要がある。そうしないと、資本が欠損してしまう。商品価格を減価償却費の2倍とすることで資本の維持が可能で、これが自然価格に相当する。不思議であるが、賃金とは無関係に生産は減価償却費の2倍である。売上から減価償却費を差引くと賃金の原資になるので、結局賃金は減価償却費と同額になる。式で示すと以下のようになる。

生産=減価償却費×2

生産=減価償却費+賃金

減価償却費=賃金

市場価格は需要と供給の均衡で決まり、変動するが、付加価値の目安は減価償却費の2倍である。個人店舗で資本財が不明の場合は、材料費の3倍を価格の目安とする。

経済の基本ルールは、消費上限、利益追求、競争市場である。この基本ルールの本意は蓄積資本の保全である。資本主義では、企業に資本を所有させることで、利益追求と資本保全の両立を目指したが、一部で利益追求が暴走している。共産主義では、資本を共有することで保全を目指したが、資本と権力が癒着し資本保全に失敗した。資本主義でも、企業が国民のものと認識されるならば、個々の利益追求が国民全体の富の増加に繋がる。会社は株主と社員と消費者のものであることが望ましい。