お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

詐欺師と泥棒

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詐欺師と泥棒

オークションでは、売り手は出来るだけ高く売ろうとし、買い手は出来るだけ安く買おうとする。高く売る限界は、お金を受け取り、物品を渡さないことである。これならば、同じ物品を何度も売ることができる。これは詐欺である。同じように考え、安く購入する限界は盗むことである。即ち、オークションは詐欺師と泥棒が対峙する社交場である。どちらも完全勝利は出来ないルールであるが、本質は詐欺師と泥棒である。

物品を用意することも面倒であれば、直接お金を奪い合えば良い。これはギャンブルである。ギャンブルはお金を集め、それを一部の人間で分け合う。ギャンブルは一方的な強奪とは全く異なる。参加者はルールを事前に理解し、対等な立場で参加する。参加するには、自身の財産を提供する必要があり、所有権を理解した社会人である必要がある。

オークションもこの点は同じであり、自身の所有物の出品と自身のお金を用意する必要がある。オークションの特徴は所有物と所有貨幣の交換にある。取引毎に駆け引きがあり、定価は存在しない。

このオークションを拡張すると市場となる。代表として、株式市場を考える。多数の参加者が売値と買値をそれぞれ提示し、売り買いの条件が一致すれば、取引が成立する。市場への参加は多人数であるが、取引は全て一対一で成立し、各取引はオークションと同一である。即ち、市場は詐欺師と泥棒の社交場である。オークションやギャンブルに熱中できる人は、詐欺師と泥棒の性質を持っている。

勝敗に対して、賞品を付与することも、同様な人の性質に訴える仕組みである。儲かること、得をすることを求める感情である。詐欺師と泥棒の性質では不快に感じると思うが、人より得をしたいとは、詐欺師や泥棒と連続した感情であり、欲求の強弱、程度の違いである。株式市場に見られる欲求を人の本質であると考える理論が、需要と供給の均衡による価格決定の原理である。長いので、需給原理とする。

この需給原理を、経済のさまざまな現象に当てはめる説明が多い。経済解説では、需給の逼迫により価格が高騰、供給過剰により価格が下落、人手不足による賃金上昇が期待される、資金需要の低迷で金利は低下傾向、などのように使用される。人の基本的性質である「得したい」を基点とする考えであることから、否定されることは無く、当然として受け入れられる原理である。しかし、全ての経済現象がこの原理に従うことは証明されていない。需給原理による解説は、常に後付けであり、予測の成功事例は無い。

需給原理を認めることは、詐欺師と泥棒の理屈を公認することになる。詐欺師と泥棒に騙されている可能性がある。もう一度、オークションのシステムを観察し、考察を行う。

オークションの参加条件は、所有権を理解している社会人であること、貨幣の扱いを理解していること、このふたつである。所有物や資金の有無は、必ずしも条件ではない。欲しいものを示すことで現物が無くても参加できるし、資金についても借りる目処で十分である。株式取引で言えば、所有する株式を担保にさらに購入するシステムがある。

所有権と貨幣、このふたつで生きていける世界が、需給原理に従う世界である。詐欺師と泥棒に騙されている可能性を考慮し、騙しを見破る方法は、所有権と貨幣を理解することと所有権と貨幣の不要な世界を見つけることである。「所有」と「お金」の考察にたどり着く。どちらも厄介な相手である、騙しを見破ることは諦め、損をしないように注意深く生きることが、懸命な選択である。得を求める心ではなく、損を回避する心が経済の本質の可能性もある。考察を継続する。

得を求める世界では、利益追求が経済原理である。経済に参加した人は、利益追求を公式ルールとして承認したことになる。詐欺師と泥棒は制度に守られている。安く買い、高く売ることが正しい商売であり、搾取は公認された行為である。搾取によって獲得した財貨は、所有物として保護される。税金は、取引に対して徴収されるが、獲得した財貨からの徴収は二重課税として否定される。現行のシステムが、詐欺師と泥棒によって構築されていることは明らかであり、それが人の本質であると考えられている。

しかし、この需給原理では説明できない現象がある。ギャンブルが顕著であるが、利益追求には物品は不要である。市場では、安く買い高く売るのであるから、無から物品を生み出す必要は無い。資本主義は富の集中を促進しているが、富の生成も行っている。搾取により富を得るのであれば大量生産は不要であり、一方生産で富が得られるのであれば、搾取は必要ない。また、需給原理では、利益の最大化が追求され、短期的な利益が重視される。需給原理では、企業の継続性と国富の蓄積を説明できない。

損が嫌い、得が好き、両者は同一ではない。損をしない為には、始めに生産や供与が必要であり、見返りを得ることが損をしないことである。一方、得をするには搾取が基本である。同一どころか、全く異なる現象と心理である。生産、供与、見返り、この三つが経済の主要現象であり、オークションや市場は経済の補助機構と考えられる。この場合、搾取は否定される。

需要と供給の均衡による価格決定の原理は、詐欺師と泥棒の理屈であり、経済の主要原理ではなく、多くの人が騙されている可能性が高い。