お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

インフレの説明

インフレの説明

インフレをできるだけ難解に遠回りをして説明したい。経済がお金の流れならば、経済を知ることは、川の中から川の全体像を眺めることであり、とても困難な行いである。インフレも、できるだけ遠回りをした方が、全体像に近付けるのではないだろうか。

 

    インフレとは価値の増加である

 

これが終着点であり、簡素にインフレを説明すれば、価値の増加である。現時点でこの説明に賛同して頂くことは難しいと思うが、理解を得られる努力をしたい。経済学の入門書には、非常に近い表現として、「インフレとは物価の上昇」とある。インフレの定義のように感じるが、実際には物価の正体がまったくはっきりしない。物価が上昇するとはどのような現象なのか、物価とは上昇するものなのか、関係者全員が分かったふりをしている。日本は30年間デフレからの脱却を目指したが、誰も達成できなかった。デフレはインフレの逆現象であり、インフレが分かればデフレも分かる。30年間の失敗はデフレを理解していない証左であり、誰もがインフレを理解していないのである。あるいは、私だけが理解していない可能性もある。

物価を物(モノ)と価(価値)に分解すると、モノとは何か、価値とは何か、個別に考えることができる。インフレや物価は経済現象であるから、物とは経済的なモノであり、貨幣経済ではお金で買えるモノに限定できる。お金で買えるモノの一部かあるいはすべてかのどちらかである。モノを買うには売り手が必要であるから、誰かの持ち物である必要がある。すなわちモノとは所有物である可能性が考えられる。

それでは、所有とは何であるかを考えてみる。野生の猿が畑を荒らして困るとニュースになる。人間が畑を荒らせば窃盗であり所有権の侵害となるが、猿には適用されない。野生の猿には「所有権」も「所有権の侵害」もなく、所有の概念が無いと考えて良いだろう。幼い子供はコンビニのお菓子を勝手に食べてしまうことがある。大人であっても戦争相手の所有物を破壊することは許される。所有の概念は限定的な範囲で有効である。生れながらの固有の権利でないことは確実である。協力関係にある社会人の間に所有の概念が存在すると思われる。

社会の最小単位として、縄文の集落を想像し、所有の起源の仮説を構築する。縄文集落は20人で構成され、複数の集落のネットワークとして社会が成立していたと考えられている。20人の自給自足であるから、常に協力して生活していたと考える。生産活動の主力は食料調達であり、分業で様々な食材を調達し、分配したと考える。遺跡から分かる食の多様性や多様な道具から、分業であったことは確実である。分業とは分配を前提とした活動であり、このような経済を分配経済とここで定義する。分配経済は、自然から獲得した食料を集落に取り込む生産と、生産された共有物の分配の2段階で構成され、分配された食料は各個人のものである。自然から集落に取り込み共有物とし、これを分配すると、所有物が発生する。この2段階の経済活動を生産と消費と考えると、現在の日本経済も分配経済と見ることができる。現在の生産の主体は集落ではなく企業であり、企業が生産した商品は企業のモノであり個人に帰属しない。商品は企業の所有物であると同時に日本人の共有物であり、消費によって個人の所有物となる。分配経済による所有物は、20人の集落でも発生することから、国家、銀行、貨幣よりも先行して存在し、所有は人間にとって原初的な権利であり、同時に生れながらに存在する権利ではない。これは現在の所有権の位置付けと一致している。一致しない点は、企業が株主の所有物であり日本全体の共有物とみなされないことである。この部分はさらに考える必要がある。仮説を整理すると、縄文集落で存在したと想定される分業生産と分配からなる経済、すなわち分配経済によって個人のモノとして社会的に承認されることが、所有の起源である。これは現在の貨幣経済でも、経済活動を生産と消費の2段階と考えることで、所有を説明することができる。

分配経済の考察から、企業の所有と個人の所有は異なる可能性が示された。個人の所有権は、利用、譲渡、売却、破棄が認められる強力な権利である。これに対し企業の所有権は限定的である。生産の原料としての利用と売却による利益の追求は許されるが、譲渡や破棄は認められない。会社の所有物を利益追求以外に利用することは背任とされる。企業の所有権は専売権に見える。

ここで、個人の所有物と企業の所有物は異なるモノと考える。インフレの説明のために物価を取り出し、物価をモノと価値に分解し、モノの正体の候補として所有物に着目した結果、所有物は2種類存在する可能性が示された。インフレでは生活に必要なお金が増加する。生活に必要なお金の大部分は企業の提供する商品の購入に費やすのであるから、インフレと関連するモノは企業の所有物である。購入済みの個人の所有物は生活費と関連しない。物価の対象となるモノとは企業の所有物である。

物価の内モノは企業の所有物を示すことが分かった。そうすると価値は値段である。合わせると、物価とは企業の物的資産価格であり、企業の固定資産額となる。経済を生産と消費の2段階であると考えると、生産したモノの内、消費したモノが個人の所有物となり、消費されずに残ったものが物価となる。企業でなく政府に残るモノとしてインフラがあり、これを含めると、物価は資本ストックと一致する。

インフレを物価の上昇と表現する場合、物価は実際に売買された商品の価格を示しているようにみえる。ここで示したように物価が資本ストックを示す場合は、「インフレは物価の増加」と表現することが適切である。物価はフローではなくストックを示すとも言える。インフレは資本ストックの増加であり、インフレは価値の増加である。

整理すると、①経済は生産と消費の2段階で構成され、本質は生産物の分配である。②経済価値は生産で社会の共有物としてストックされ、消費で個人の所有物となる。③物価とは経済価値のストック量を示し、資本ストックと一致する。④インフレは資本ストックの増加である。

遠回りした結果、所有の起源が分配経済にあること、物価がストックであることを示すことができた。難解であろうか。最後に、デフレの解消を考える。インフレが物価の上昇ならば、物価はフローであり、消費促進の補助金を供給する。インフレが価値の増加ならば、物価はストックであり、企業の投資と家計の貯蓄に対する補助金を供給し、インフラ整備も増大させる。物価がフローであるかストックであるか、デフレ対策は正反対なほど大きく異なる。