お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

過去に進むお金

過去に進むお金

時をかけるお金、時間を逆行するお金、循環しないお金、タイトルばかり考えて、なかなか内容の整理が進まない。お金が流れであることを示す表現は沢山見つかる。お金を循環させることで経済は活性化する。お金の流れを追うことで真犯人を探る。最近金回りが良い。経済用語にはストックとフローがある。流体シミュレーションでも流入と流出の差が蓄積であり、ストックとフローは流体に共通する基本原理である。お金が流体であるとして、お金の流れなのか、お金の循環なのか、どちらなのであろうか。結論は既にタイトルに示したが、考察を進める。

スープを混ぜる時、スープをスプーンでかき回すと表現するが、スープをスプーンで流すとは表現しない。流れとは、高いところから低いところへの流体の一方通行の移動を示す。循環とは元の場所に戻る移動を示す。循環は流れの特殊な状態である。エッシャーの滝は、滝を流れ落ちた水が川を流れていくと再び滝の上に戻る、だまし絵である。自然現象では、流れが循環しないことを逆説的に表現している。循環と流れを区別無く用いることは、現象をあいまいにし、混乱や誤解を与える。

実際に観察できる現象を考えると、賃金が支給されるとお金は懐に流入し、欲しいものを買うことで、あるいは外食をすることでお金は懐から流出する。流入と流出の差が貯蓄であるから、確かにお金は流体としての保存則を満たしている。それでは循環はどうであろうか。銀行のATMから出てくる一万円札は、以前は誰かの所有するお札であった。これはお札の再利用であってお金の流れではない。自分の通帳の預金をお札に変換したのである。確かに、一万円札は再利用により循環しているが、お札の循環とお金の循環は違う。お札の循環を追跡し、お金の流れを考える。

賃金は会社から個人の銀行口座に入金される、これをATMで預金から一万円札に変換する。お店でビールと一万円札を交換する。一万円札はお釣りとして客に渡されることは無いので、売上として店の銀行口座に入金される。ここで、一万円札は預金に変換され、お金としての役割を終了する。次に再びATMから出てくる時に、お金としての一万円札に変換されるが、お金の流れの連続性は無い。懐を中心に整理すると、お金は形式を預金とお札で変換しながら、会社、個人、お店と流れ、流れは終了する。

お店のお金は仕入れで企業に流れ、いくつかの企業を渡り、賃金として個人に流れる。また、お店の従業員の賃金としても個人に流れる。どちらも先ほどビールを買った人とは別人であり、単純な循環ではない。お金の流れは、途切れ途切れの流れの集まりであり、循環のようでもあるが、元の場所に戻る循環とは異なる。

ビールを買った人の行動を考えると、商品であるビールにお金を払うのであり、従業員の賃金を払うのではない。商品とお金を交換するのであるから、お金が流れであれば商品も流れである。商品は工場で作られ、商店に納入され、販売によって個人に流れる。お金は商品と反対方向に流れ、購入者、商店、工場へと流れる必要がある。賃金はどうか、賃金は商品の売上げの一部を受取るのであるから、お金の流れは、購入者、商店、工場、賃金である。流れとは時間的な現象であり、お金の流れは過去に進む必要がある。借金も将来の収入の前借りと考えれば、未来から受取るお金であり、未来から現在へと過去に進む流れである。

お金は商品あるいは商品の生産に対して払うのであるから、お金は過去に流れる必要がある。ところが、当然であるが、一万円札は時間に沿って流れ、時間を逆行することは無い。経済の実務では過去に進むお金を表現する仕組みがある。ひとつは運転資金の借金であり、もうひとつは伝票である。どちらも近い将来の収入を事前に受け取ったと仮定して、商品の流通を行うシステムである。未来から流れてくるお金を仮想したシステムであり、過去に進むお金を表現している。

お金は過去に進み、貨幣は循環する。これはポエムでなく、経済の観測結果である。観測結果であるから、経済の修正を求めるものではない。しかし、経済活動の認識は変わるかもしれない。代金の支払いは、過去の生産に対して、過去の蓄積に対しての対価である。賃金の受取りは、未来への奉仕の対価であり、現在の企業への奉仕の対価ではない。

もうひとつ、難解であると思うが、商品の生産では符号がプラスの商品付加価値と符号がマイナスの賃金が対で生成されることで、保存則を満たす。そして、マイナスの賃金が時間を逆行することで、プラスのお金に見える。賃金を貯蓄として残す場合はマイナスのお金として残す必要があり、この符号変換を金利でおこなう。賃金を貯蓄すると貯蓄した人のお金は増えるが、社会全体としては金利で借金を増加させ、保存則を守る必要がある。