お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

等価交換

等価交換

等価交換、この言葉には良い印象が多いように思う。自業自得、人生の公平性を示し、それが経済の底流にある印象を受ける。お金は、この等価性の結晶とも言え、厳密性がある。誰とでも交換可能であり、何であっても交換でき、時間的不変性もある。お金には、確かに、等価交換の性質があり、経済はお金で運営され、等価交換が実行される。

問題は、お金の便利さから、等価交換に慣れすぎていることである。命の奪い合いである自然において、等価交換は無い。食料もそうであるが、人と人のやり取りも等価交換であることは、ほぼ無い。人間関係は不公平である。お金が仲介することで等価交換は成立している。経済も、貨幣価値として等価なだけである。

お金を使わない取引は、プレゼント交換、互酬と等分割分配である。等価になるように非常に気を使う。自分の持ち物を売って欲しいと言われた時、自分の言い値で即決されたら、もっと高く売れたかもと、損した気分になる。決めた値段が等価であるか判断できない。等価交換は非常に難しい。

なぜ、経済では、簡単に等価交換が実現するのか。それは事前に値段が与えられているからである。どのように値段が決まるのか、この疑問をこれまで考えてきた。何度か分かったと感じたのだが、未だに考えている。現在の解答は、賃金と商品価格が同時に決まる。即ち、賃金と商品が対生成する。賃金も商品もお金の一種であり、同じお金である通貨と等価交換が成立する。自然物と貨幣の等価交換は成立しない。

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