お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

排他的関係

排他的関係

自然はお金で買えないことは自明である、違うだろうか。お金を払う相手が居ないものは買うことが出来ない、これは自明である。所有者が分かれば購入できる。但し、売ってもらえない場合もある。

所有者が存在する場合は、購入できる。所有者が存在しない場合は、購入できない。これでは、所有者が存在しない自然は、永久に買うことが出来ない。しかし、天然水は購入できる。天然水の最初の所有者は、誰にお金を払ったのだろうか。

この現象は謎である。私は、この謎を既に解いている。そもそも、あなたはこの現象を謎と思うだろうか。実際のところ、人間が理解したと思う現象は本当に僅かであり、謎は謎のままで何の問題もない。しかし、謎を発見すると、それは突然問題となり、心を奪われる。先ずは、この現象が謎である事を説明する。

奈良にはごろごろ水がある。この水は通販で購入できるが、採取地では、自分で汲むことも出来る。管理費を払うが、水そのものは無料である。採取地では、飲むことは出来るが買うことはできない。通販のごろごろ水は購入できる。売る為のものが商品であるから、買えない商品は矛盾であり、背理法により、商品は必ず買える。しかし、商品は飲めない、購入するまでは誰も飲めない。購入した商品は所有者が存在し、既に商品ではない。購入者が存在するごろごろ水は買うことができるが、買えない場合もある。これは飲むことができる。ごろごろ水は常にごろごろ水であるのに、性質が変化する、なぞなぞである。

購入を貨幣との交換と考えると少し整理できる。ここで、所有者の存在するものを所有物とする。いくつかの操作に対して、自然物、商品、所有物の性質を整理する。

操作-自然物-商品-所有物

飲む-出来る-出来ない-出来る

買う-出来ない-出来る-場合による

交換  -自然物-商品-所有物

貨幣と -出来ない-等価交換-交渉交換

自然物と-出来ない-出来ない-出来ない

商品と -出来ない-等価交換-出来ない

所有物と-出来ない-出来ない-交渉交換

商品を買う場合は定価が決まっており、貨幣との等価交換が成立する。これに対し、所有物も買うことが出来るが、値段は交渉であり、等価交換ではないことが分かる。ここでは交渉交換とする。商品同士は等価交換が成立するが、手間が増えるだけであり、普通は行わない。所有物の購入は、常に交渉であり、交渉交換である。

自然物、商品、所有物は性質が異なり、排他的な関係であることが分かる。また、貨幣は、商品、所有物のどちらとも交換可能であるが、交換の原理が異なる。なお、貨幣同士も等価交換が成立するが、これも手間が増えるだけである。最近は、振り込みなどで手数料が発生することが多くなった。

結局、日常的な交換は、貨幣と商品の等価交換だけであり、貨幣と商品の組み合わせが特別なのである。

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等価交換は特別