お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

縄文集落

縄文集落

日本国の歴史は古く、二千年程遡ることができるが、文字を輸入したこともあり、さらに遡ることは難しい。しかし、考古学的な遺物からは、一万年以上昔の生活を想像することも可能である。一万年前の日本は縄文時代であり、大量の土器を利用する集落単位の生活があり、集落は常に20人で構成されていた。縄文時代は一万年以上継続しており、20人の集落は安定した経済システムであったと推定できる。

安定した縄文経済は、変化の激しい現在の経済とは異なる要素がある。遺物から分かることは、集落内で貨幣が存在しないこと、土器を使い捨てで利用していたこと、食生活は豊かであったこと、集落は20人で構成されていたことである。現在との共通点は、食生活が豊かであること、日用品を量産していたことであり、相違点は貨幣が無いことと集落の規模である。縄文時代は、人口の変化に対して、集落の規模が変動するのではなく、集落の数が変化したようである。ここから、貨幣の不在が集落規模を20人に限定したと推測する。

現在でも国家の破綻や、銀行の麻痺で、貨幣が無価値になる場合がある。この時の現象は、人が集まるバーなどで物々交換が始まり、参加者が増えていく。参加者が20人を超えるとクーポン券と商品の交換が始まり、地域経済として機能する。この時のクーポン券は貨幣として機能し、貨幣経済が復活した時には支障なく貨幣に変換される。ここから、20人程度の集団では貨幣が無くても経済が成立し、20人を超える集団では貨幣が必要なことが分かる。

縄文集落の主要産業は食糧生産である。生産物は、肉、魚、作物、山菜、加工食品として干物、クッキーがある。集落の経済は分業労働であり、全員が食糧生産に参加し、それぞれの専門として狩猟、漁獲、採取などを担当する。それぞれの生産物は、集落のものとして生産され、個人の所有物ではない。生産物は、100分割され、共同倉庫に並べられる。そこから、ひとり5種類の生産物を選ぶことで、各自の所有物となる。

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所有は人間の間に生まれる概念であり、自然には存在しない。人間も自然の一部であり、人間が自然に働きかけたとしても、所有の概念は発生しない。所有には、人と人の約束が必要である。家族などの少人数集団では、分配によって個人の所有物となる。縄文集落も同様であったと推測した。

このような縄文経済を現在の貨幣で考えると、日当は全員五千円で、商品は千円均一で100点あり、生産額は一日10万円、消費額も一日10万円で一定となる。商品価格は一定で、景気の変動も無い。また、この経済は配給経済ではない。個人の嗜好による選択が可能であり、人気に合わせて担当を再配置することで、生産量の増減が可能である。現在と同様な自由経済である。

貨幣が存在しても、日当が一律であるので、意味を成さない。日当が一律であるならば、仕事をさぼっても分け前は必ずもらえる。分け前はもらえるが、さぼった分は集落全体が貧しくなる。仕事は、自分の為ではなく、集落の為に行うことになる。ここに、集落規模の規定が生まれる。人数が多い方が食の多様性、安定性が増す、しかし、人数が増えると、さぼることが可能となり、公平性が失われる。

このように、分業による生産活動は貨幣が無くても成立する。貨幣の必要性は集団規模の拡大にあり、公平性の確保が導入の目的である。現在は、貨幣運用の試行錯誤の最中である。