お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

野生動物

野生動物

野生動物とは、野で生きている動物、この説明で良いだろうか。熟語に少し文字を挟んだだけだが、自然の一部として存在している動物と定義すると、人間も自然の一部であり、人間も野生動物である。ここで示したいのは、野生動物と人間の違いである。

会話や意思疎通は、ネコ同士でも観察できる。カラスは道具を使う、たぶん。社会的生活は、アリやハチも社会性を持つ。抽象的概念を共有できる、これは人間固有の可能性がある、野生動物は文化的活動を示さない。しかし、クジャクの羽の文様は、クジャクに共通の嗜好があることを示す、文化とも解釈できる。この定義は難しい。

ここでは、経済活動が人間と野生動物を区別すると定義する。これは、結論から要請される定義であり、ここだけの定義であるが、受け入れ可能な公理的仮定であろう。

経済活動とは、道具を用意し生産活動を効率化する、そして新たな生産活動を始め、活動を拡大することである。魚釣りならば、釣竿と釣り針を用意する、性能の良いものに改良する、文様の美しさにこだわる。十分な魚を確保したとしても竿と針の改良は継続される、魚種を増やす工夫をするかもしれない、釣る速さを求める競技をするかもしれない。このような知識と生産物の蓄積は資本蓄積であり、蓄積された知識と生産物が資本ストックである。即ち、資本ストックを維持、成長させる存在が人間である。必ずしも資本ストックを成長させなくても良いが、資本ストックが無ければ、もはや人間とは言えない。資本ストックが人間と野生動物を分ける要素である。

ここからふたつの考察が可能である。労働分配率と共生である。

労働分配率は、生産価値に占める労働者の受け取る価値の比率である。労働者が受け取れない価値は搾取であり、比率が高いほうが良いと考える。強欲な資本家との闘争であると考える。しかし、労働分配率100%とは、活動の成果をすべて獲得できる状態、野生動物の状態である。一方、労働分配率0%は、自分に無関係な生産に関与している状態であるから、触媒である。メンテナンス不要のロボットも分配率0%である。

労働分配率は、100%では野生動物、0%ではロボット、そのような指標であり、測定値は業種や時代によって、30%~70%である。この指標は、人間らしさについて考える指標である。

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人間らしさ

共生。人間は稲を食べて生きているから、稲に養われている、一方、稲は人間に育てられている、稲の繁栄は人間無しに成立しない。つまり、稲と人間は共生関係である。同様の関係が、資本ストックと人間にも成立する。資本ストックは人間の創造物であるが、人間はこの創造物無しに存在できない、人間ではなくなる。一方、資本ストックは人間に依存している。そこで、資本ストックを有機体と考え、経済を資本ストックと人間の共生と把握することで、経済現象を客観的に観察できる。