お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

人と人の隙間

人と人の隙間

群れを作る動物は、仲間と仲間以外を区別している。人はこの区別を細かく行う。家族、親友、友人、同僚、会員、国民、さまざまな人間関係がある。個人の持つ特性の一部として、血筋、所属会社を含める。履歴書に記入する内容は、個人の性質よりも他人との関係を重視する。まさに、人間は人と人の間に生きている。人は他人との繋がりで生きているのであり、その繋がりを大切にする。仕事を手伝ってもらった、看病してもらった、育ててもらった、誕生日プレゼント、お歳暮、年賀状、受けた恩を感じ、恩に応える心が人間の本質を形作る。

それでは、人間の本質である恩は自分自身であろうか。人間関係を単純化すれば、プレゼント交換である。受けた恩を返す、返す相手は別人でも良い、親に受けた恩を子供に返す、先輩に受けた恩を後輩に返す、これもプレゼント交換と考える。プレゼント交換をする、受け取ったプレゼントは自分のものである。ならば、それぞれ自分で自分のものを調達しても結果は同じである。けれども、そこに絆が生まれる。この絆は個と個の関係性であり、どちらかの個人に帰属するものではない。

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恩やプレゼントによって生まれる絆は身近な人に限られる。名前も知らない人から受ける恩は稀であり、貴重なものである。このことから、絆で結ばれる人の集団は小規模なものとなる。ここに、お金が登場する。受けた恩の証明としてお金を渡す、与えた恩の証明としてお金を受け取る。手元にお金があれば、受けた恩より与えた恩が多いことの証明になり、恩を受ける権利となる。お金により、多くの他人との繋がりが可能となるが、返すはずの恩が、受ける権利と与える義務に変質してしまう。お金に対する嫌悪感はここに起因するのであろう。

権利と義務であるお金の関係も、繋がりであることに変わりは無い。恩による絆が個人に帰属しないのと同様に、お金の繋がりも個人に帰属しない。恩を具現化したものが貨幣であり、貨幣によって発達した現象が貨幣経済である。経済は、人と人の隙間に存在する繋がりを拡張したシステムであり、基本的に個人に帰属しない。家計、企業、政府、銀行、どれも個人に帰属しない。企業の作る商品も個人に帰属しないと考えられる。しかしながら、具現化した貨幣は個人に帰属する。ここを基点とすると全てが反転し、全てが所有物に見える。使うと無くなるお金の理解は経済全体に影響する。

プレゼント交換によって生まれる絆は、人と人の間に生まれるのであって、個人が既に持っている絆を提供するのではない。別の例としては、胃袋は袋であることが機能であり、その機能は個々の細胞には無い、組織に生まれた機能である。労働によって価値を生むことも、まさに生むのであって、労働者が所有する価値を提供する必要は無い。しかし、提供することも可能であり、考察は慎重に行う必要がある。