お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

通貨が増えるとどうなる

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失われた20年さらに継続

通貨が増えるとどうなる

日常において、お金と通貨は同一であるが、貨幣は媒体の形式を重視し、紙幣と硬貨を示す。通貨は、紙幣と硬貨に加え、銀行預金を含む3種類をまとめた概念である。財理学での定義は異なるが、ここでは重要でない。

日本の借金は1200兆円であり、国民一人当たり一千万円である。否、それは政府の借金であり、国民が政府に1200兆円を貸しているのであり、国民の資産である。このような議論を見たことがあるだろうか。「国の借金」で検索すれば読むことができる。良く文章を読むと、国民の借金だとはどこにも示されていない。全員理解している、日本政府の借金が1200兆円、人口で割り算すれば一千万円、これは事実である。さらに、借りているのだから貸している人がいる、これも事実であり、やはり全員理解している。何の相違点も無いのに、なぜか会話は対立している。

お金の話しでは良くある現象である。前者は、だからもう借金はできない。後者は、だからもっと借金をして資産を増やしたい。両者の政策方針が対立しているのである。観察の前に思想があると、結論は異なることが分かる。

生活の常識では、借金は良くない事である。正確には、生活費として借金をすることが問題であり、住宅ローン、学資など、目的と返済の見通しがある場合は問題でない。事業資金であれば借金するべきである、返済の見通しが立てられないのであれば、事業計画に問題がある。借金は目的が重要である。

国の借金も同様に目的が重要であると思われるが、それは政策立案者の課題である。ここでは、借金と同時に増える通貨について考える。同時に増えるのであるから、借金は駄目、通貨は良い、では論理破綻である。お金が増えるとどうなるのかについて考える。

通貨残高は、M3は1500兆円、M2は1200兆円で、政府の借金は1200兆円である。30年前は、通貨残高M2は600兆円、政府の借金は150兆円である。整理すると、お金は30年間で2倍になっている。

お金は30年間で2倍になった。これはとても分かり易い変化である。30年前と現在を比較して、どのような変化があるのか、2倍となる変化が見つかると比例関係を推測できる。失われた30年と呼ばれるように、経済は停滞している。統計データは何も変わっていないように見える。横ばいも、重要なデータである。2倍の変化に対して、無反応な指標は相関が無い、或は別の変化と相殺されている、と考えられる。列挙すると、国内総生産、賃金(家計収入)、物価、金利貧困率、資本減耗が横ばいである。減少している数値は、専業主婦が900万人から570万人に、投資(総固定資本形成)が150兆円から100兆円に変化している。

ここからは財理学としての推測である。お金は労働者に圧力として働き、お金が増えると労働者を増やす。一方、お金を保有した企業は投資圧力が軽減され、投資が減少する。結果として、国内総生産は変化しない。その他の横ばいの指標は、マネーストック(お金の量)とは無関係であり、資本ストック、資本減耗と相関する。

お金が増えると貨幣活動が増加し、非貨幣活動である家事、育児、介護などの外注化が促進される。しかし、国内総生産や賃金は資本減耗と相関するため、生活が豊かになることもなく、貧困化でもない。最後に、お金の量は2倍で物価は無反応、お金の量と物価は無関係である。