お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

インフルエンザの不思議

インフルエンザの不思議

インフレーションとインフルエンザは少し似た単語である。お金とは直接関連しないが、インフルエンザについて考える。

2021年インフルエンザは絶滅寸前である。毎年1000万人が受診していたのに、2021年の受診者は1万人である。100年間、安定して続いた現象が千分の一に減ってしまった、小児科医は廃業であろう。2020年、肺炎の死者数も1万人減少したことから、コロナ感染を恐れての受診者の減少ではなく、感染者の減少によると考えられる。

これは、とても不思議な現象である。100年間、インフルエンザを減らす為の様々な対策を行ってきたが、感染者数は安定した状態が継続した。これまでの対策とインフルエンザの流行は無関係であったことになる。この不思議な現象を人は簡単に受け入れた、インフルエンザの防御に対して無知であることが判明したが、全く動じない。コロナ対策が重要であり、終焉したインフルエンザは重要でない。インフルエンザ壊滅の原因は、予防策の徹底、外国との往来の断絶、ウイルス干渉とされる。それならば、毎年1万人の肺炎死亡者は無策による被害者である、コロナ蔓延の説明もできない。

人が現象を受け入れる為に、原理はそれほど重要でないことが分かる。100年間の努力が無価値である可能性が高いのに、検証することなく、目の前の課題に努力を注ぐ、この努力も無価値である可能性は十分ある。一方で、現象に対する理由付けは必ず行う。これは、原理を究明し原理に基づいて行動するのではなく、現象に対処した行動を行い、その行動に対して理由付けを行っていることを示している。

このようなことは周知の事実、誰もが知っていることである。原理の究明が困難を伴うのは、このように行動の正当性を簡単に説明できるからであり、その説明の多くが原理とは無関係だからである。即ち柳の下のドジョウである。経済は人の行動であり、行動の正当性を説明する理屈が経済仮説である。経済仮説が経済原理である可能性は不明であり、その真偽の究明は困難を伴う。経済では、原理の究明と現象への対処を同時に行う。人の習性として、原理の究明よりも、現象への対処が優先される。これは人の性質であり、受け入れる必要がある。

お金の話しに戻ると、インフレが資本蓄積であることは、自明であるように見える。豊かな国は物価が高く、貧しい国は物価が低い。豊かさは資本の蓄積に他ならない。行動の説明ではなく、現象の説明を行えば、賛同が得られるだろうか。自明に見える現象を説明することは難しい。