お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

拡大再生産

拡大再生産

 経済発展の王道は拡大再生産である。アリとキリギリスの童話におけるアリの生き方である。厳密には、童話のアリは保存食としての貯蓄であり、拡大再生産ではない。現実のアリの生活の方が拡大再生産に対応する。アリは食料を巣に運び込み、その食料で仲間を増やし、より多くの食料を調達する。このように、生産物の一部を生産の拡大に利用することが拡大再生産である。アリが実践していることから、拡大再生産は貨幣が無くても成立する。お金を増やすことではなく、生産設備などを増やすことである。

 

小麦の生産では、蒔いた種籾の20倍の収穫ができる。ここで、収穫した小麦をすべて食料とすると、次の生産が出来ない。収穫した小麦の5%を種籾として再生産を行うことで、毎年一定量の収穫を確保できる。これを単純再生産と呼ぶ。この単純再生産から拡大再生産に移行するには、食料の割合を減らし、種籾に当てる必要がある。この場合、収穫量に対し食料比率を95%から94%に減らし、種籾の割合を5%から6%に増やすことで、20%の増産が可能であり、土地を確保できれば、拡大再生産は容易である。

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単純再生産から拡大再生産へ

次に収穫倍率が2倍である場合、食料50%種籾50%で単純再生産が成立する。ここから食料割合を50%から45%へ、食料を10%減らすことで、やっと10%の増産が可能となる。これは難易度が高い。ところが、一度食料45%、種籾55%の割合で生産を行えば、それ以降は毎年10%の増産が可能であり、増産が当然の経済となる。明日のために今日は少し我慢する、そんな経済である。

ここにアリとキリギリスが分かり合えない原因がある。アリは拡大再生産を実現しており貯蓄を苦痛だとは感じていない、むしろ将来の増産に希望を感じている。一方、キリギリスは単純再生産であり、最適な種籾比率を確立していると考えている、どうして貯蓄する必要があるのか分からない。

 

現在の日本はどうであろうか。国内総生産GDPは500兆円で30年間一定である。消費はその60%であり、これは小麦における食料分に相当する。残りの40%が種籾に相当し、投資と政府支出である。明確に、収穫倍率約2倍の単純再生産である。さらに、投資の減少を国債による政府支出で補填していることから、生産設備とインフラは縮小している。現在の日本人はキリギリスである。キリギリスがアリの生活を始める方法はないと童話は結論付ける、現実はどうなるだろうか。

アリとキリギリスから類推すると、縮小再生産の結果がデフレである。日本国の歴史は長い、これまでもデフレ経済を経験しているのであるから、デフレからインフレへの切り替えも不可能ではないだろう。拡大再生産、資本蓄積とインフレの関係についても考察が必要である。