お金にならないお金の話

お金は使うと無くなる、これを公理とする

価値観は人それぞれ

価値観は人それぞれ

お金は経済の要素である。これは仮定でなく、事実であろう。経済と関係の無いお金は存在しない。それでは、経済とは何であろうか。お金は本当に便利である、経済のすべてをお金で記述することが出来る。このお金で表現できるものを価値と呼ぶ。これにより、経済は価値の運動と理解出来る。ストックとフロー、価値の生成、交換、蓄積、消滅が経済である。

それでは、価値はすべてお金で表現できるのか。そうではない、経済の価値は必ずお金で表現する必要がある。お金で表現できない価値は経済要素ではなく、経済以外の価値はお金で表現する必要はない。

愛はお金で買えるのか。難問と感じる人もあるだろうが、答えはそれほど難しく無い。友人の持っている腕時計と同じである。販売店の腕時計は必ず購入できるが、友人の腕時計は友人次第である。友人が売りたい時は買える、売りたくない時は買えない。無償で受け取ることもある。同様に、愛はお金で買うことは可能であるが、その価格に法則を見つけることは難しい。お金以外の価値観は人それぞれであり、お金に換算できない価値もある、換算できる場合も価格は人それぞれである。当然、無償の愛もある。

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もうひとつ、販売店では必ず購入できるのはなぜか。友人の腕時計と販売店の腕時計の違いは何か、これも考察が必要である。ところで、経済統計の王である国内総生産GDPの定義は、一定期間に国内で生産された付加価値の合計、である。価値の中でも付加価値が経済における特別な価値である。付加価値の理解がお金の理解に繋がると思われる。友人の腕時計は付加価値ではないと考えているが、正しいだろうか。